■皆さんの感想を読んで 高野です。ご無沙汰しております。中村先生のコンサートについての皆さんの感想文章を拝見し、大変な中でのコンサートだったのだと、それだけに生涯の思い出になるコンサートだったのだと知りました。私はとても行ける状態ではなかっただけに、ますます残念な思いがいたします。
いったい、このような大惨事が起こるとは誰が予想したでしょうか。被災地の無惨な有様、そうした場面を毎日、メディアを通して見ながら東北の人々のために胸を痛め、また東京でも交通や電力の支障をきたす中で行われた演奏会。
皆さんの文章を読みながら、ふと昔読んだ五味康祐のエッセイを思い出しました。彼は剣豪小説家として有名でしたが、音楽にもたいへん造詣が深く、超一流の繊細な耳を持っていました。その五味のエッセイというのは戦時中のドイツでのエピソードです。
連合軍の空襲で町は廃墟のようになり、いたるところガレキが重なっている中、それでもドイツ市民は音楽を求めていました。戦時中の飢餓状態だからこそ、また良質の音楽に飢えていたのかもしれません。その日はベルリン・フィルのコンサートの日でした。コンサート会場の前には長い行列ができていました。人々は様々なものを手に携えてきました。ある人は大事にしていた靴を持ってきていました。お金の代わりに大切な品をそれぞれ持ち寄り、それでコンサートを聴くために。
やがて演奏会が始まりました。演奏が進んでゆくうちに遠くで警報と共に空襲の音が聞こえてきました。それにもかかわらず誰も避難せず、フルトベングラーがベルリンフィルの団員と共に紡ぎ出す音楽にじっと耳を傾けていました。しかしやがて、場内の灯りがひとつずつ消えていきました。オーケストラの灯りがだんだん暗くなり、楽器の音がひとつ、またひとつと消えてゆき、最後までスポットを浴びて指揮をしていたフルトベングラーも、ついに指揮棒を置いてしまいました。
場内では、灯りがつくまで一時休憩のアナウンスが流れました。いつ再開できるかわからない暗い会場で人々はそれでも長いあいだ待ち続けたとのことです。こんな時の演奏会は一生涯聴くことのできないかけがえのないものだったにちがいないと五味は書いています。
ほとんど一瞬の間に2万人以上もの人々が行方不明、または亡くなられた、すさまじい地震と津波のあと、今、東北の人々は懸命に助け合いながら明日に向かってなんとか希望をみつけようと進んでいることでしょう。このような時の演奏会では、おそらく演奏する方も、また聴衆の方も、普段とはかなりちがった緊張感があったのではないでしょうか。「楽しみ」として聴くというより、「人生と向き合って」聴く、それこそ一生涯聴くことのできない深い演奏会だったのだと、皆さんの文章を読みながら思いました。この大きな災害を前に、いま全国で多くの人々が同情し共に悲しみ、自分にも何か人のためにできないかと胸をいためております。聴衆の皆さんから被災地へ向けた多額の義援金が集まったことへの感動と共に、中村先生の素晴らしい演奏会にエールをお送り致します。
ますますのご活躍を期待します。
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