「・ウギ」で事なきを得た
酷暑の中の演奏、武藤さんはじめ出演の皆さんお疲れ様でした。
並び順も決めないで本番、声の通らない僕は一列目に立ちました。
1.赤とんぼ。急にお客様が満員になり、落ち着かないうちに歌い出し。ステージ(?)に奥行きがなくてトップとセカンドの声がほとんど聞こえず合ってるかどうか心配。この状態は最後まで続きました。
2.見上げてごらん夜の星を。既に「ダンディーズメール」で申し上げた通り、ニキビ面の坂本九ちゃんの持ち歌。御巣鷹山に墜落した日航機に乗っていて死亡。涙をこらえながら歌いました。
3.なごり雪。当初から大好きな曲。何故かと言えば僕は「乗り物キチガイ」。そして鉄道唱歌の主要部分「汽笛一声新橋を・・・」をベースが歌うのです。
所で、新橋から横浜まで、日本で最初にモ汽車モが開通したのが明治33年(1900年)、東京駅から出発して御殿場線経由で京都まで開通したのは大正3年(1914年)。多分、大正天皇の即位の儀式が京都御所で行なわれるので、それにあわせたのだと思います。
なごり雪の原曲は、いつ頃作られたのでしょうか。
4.小さな空。何度も歌って歌いこんだ武満曲。楽譜には色々な書き込みが。メロディーが同じの場合はページを戻さなくても歌えるように歌詞を欄外に書き込んであったり、カラーペンでなぞってあったり。
5.東京ブギウギ。これも何度か歌った高度成長の頂点の時代の曲。ただ、楽譜のKからLまでの、1拍早く出る「ブギ」を何度練習しても自信が持てず、自己防衛のため、Lの最初の「ウギ」から声を出して事なきをえました。
6.琵琶湖周航の歌。旧制三高のボート部の歌ですが、新制の大学に入学した時「学歌」を一度聞いた以外、全ての集まりで必ず歌われるのがこの曲です。この曲の生い立ちは、先ず大正4年に吉田千秋が「ひつじ草」のをメロディーを作り、その2年後に小口太郎が作詞を作ったものです。
僕が歌い始めた頃はこの「正調」でしたが、加藤登紀子調で一世を風靡しました。皆さんの楽譜に「小口太郎作詞作曲とあるところに(吉田千秋作曲)と書き込みがあると思いますが、これは僕のお願いでした)。
歌ったのは3番まででしたが、実は4番まで歌いたかったのです。思春期真っ只中の歌には、やはり女ッ気が欲しいのです。4番の歌詞を以下に。
「瑠璃の花園 珊瑚の島 古い伝えの竹生島
仏の胸に抱かれて 眠れ乙女子 やすらけく」 以上
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