合唱団ダンディーズ広報誌
あんさんぶる No.12
2007年8月発行

5thコンサート、そしてこれから…

尾上 彰/音楽委員長 

 シューベルトと格闘した’04/11月の4thコンサートの後、5thコンサートについてのアンケート調査が行われた。一年半後を目指したい、との意見が多く、歌いたい曲としては多田武彦を始めとする邦人作品(ほぼ満票)、黒人霊歌、ロシア民謡、ミュージカル、ポピュラー・歌謡曲、日本の歌、などなど多岐にわたった。’05年からその結果に従い、コンサート曲候補としてミュージカル2曲(Memory, Climb ev’ry Mountain)、ロシア民謡(百万本のバラ他)、黒人霊歌(Sometimes I feel…、Ain’a that good news! など)、日本の抒情歌、多田武彦(作品第肆、花火、片恋、春を待つなど)の練習が開始された。合宿から「寿限無」が始まった。’06年春には「みんなの歌」で人気を博した「グラスホッパー物語」、そして武満徹作品をスタートさせた。’06年末に’07/6月頃の開催に向けて、演奏曲がほぼ決った。
 5thコンサートは、武藤さんのご都合に合わせて前回から約2年半後の開催となったが、その間、それぞれの曲の歌いこみが出来たのが今回の一つの特徴であろう。殆どの曲は25〜40回の練習を行っている(少ない練習回数を努力でカバーされた田中さんに敬意を表します)。譜面を外さないまでも、口が自然に回るようになっていた方が多いと思われる。特に難曲「Ain’-a 掛け合いを楽しむ?歌い方へと変化して来たのは印象的だった。

次の特徴は武藤さんの卓抜なステージ構成である。第1ステージ「ダンディーズ愛唱曲から」は、結果的に武藤さんのオリジナル編曲の大曲5曲となった。愛唱曲の気軽さというよりは、「これぞダンディーズ」と、精一杯ダンディーズらしさを表現するステージとなった。芸達者な台詞に加え、魅力的なピアノ伴奏にアコーディオンも加わり、最終ステージにしてもおかしくない華やかさを持たせることができた。
 第2ステージ「多田武彦の男声合唱曲集から」は、少人数でも歌える明るい曲を、という選曲方針で、それなりに難曲が多く、苦労したが、声も出てきた状態でアカペラへの挑戦を行うことができた。
第3ステージ「アメリカ音楽名曲集」は、練習の初期には全く見えなかった。黒人霊歌とミュージカルを組合せ、ジャズ・ポップス系を加えて掲題のレクチャーステージにまとめ上げたのは、さすが武藤さん、との思いである。編成のバラエティもあり、今後に続けたい企画である。
 もう一つ、待ちに待ったコンサートが決ってからの約半年間の皆さんの集中力が印象的だった。多忙な中90%を越す出席率を記録したメンバーをはじめ、コンサートに向けての色々な方々のご協力・ご支援に助けられ、満席の聴衆に我々の歌を共感を持って聞いていただいた。色々な方々に支えられてステージに参加できる幸せを改めて実感した次第である。

 アンケートその他に見られる聴衆の反応は概ね好意的であったが、弱音のハーモニーが美しく、逆に言うとフォルテが聞けず物足りない、との声が多く寄せられた。私は、次の4点がその原因と見ている。
@ 全体にフォルテよりはハーモニーで聞かせる選曲であった。
A pの部分のハーモニーを整えた後に cresc.やfの部分のハーモニーを練習する必要があるが、未だその前の段階であった。
B がなるのではなく、きれいなfを出すには、発声を改める必要がある。
C  会場の響きの問題。
 今後、メンバーの年齢構成がどう変化して行くかは分からないが、急激な若返りが難しいとすれば、声の張り、声量で勝負するのは結構厳しい。やはり、音のきれいさに挑戦することになろう。

 今回も、アカペラに比べてピアノ伴奏曲の出来が数段良かったのは、反面残念でもある。しかし、良い種はある。「梢」の出来がそれなりに良かったことだ。p や pp でお互いを聞きながら、遠くに飛ばす発声を心がければ、十分なハーモニーを作り出せる。これを ff とまでは行かなくとも、せめて mf まで広げられれば、表現の幅は大きく広がる。武藤さんの言われる「希望の島」での「ものみなたりみちー」の「みちー」の豊かな和音である。折角響きの良い練習場で歌っているのだから、ハモった状態での cresc.を磨いていきたい。
 今回のコンサートを通じて、武藤さんのステージ構成力に改めて心服した次第である。次回もやはりアンケートから皆さんに歌いたい曲を出してもらい、それを基にステージ候補曲を決める、というオーソドックスなプロセスを踏むことになると思われる。武藤さんからのステージ構想を踏まえたチャレンジに今後も全力で応えて行きたい。

もう一人の自分発見!
田中俊一/バリトン 
 満員の会場の幕が下りた時、『オレ本当にやったんだ!』満足感と少々の達成感に満たされました。自分の声で歌えたのは、約70%、残りはバリトンの先輩にオンブにダッコ。
 でも古希になってこんなに歌えるなんて想定外だった。もう一人の自分が発見できて緒先輩に感謝!感謝!
 思えば、50数年前、芸大声楽科から3ヶ月の期限で先生を招き、徹底的な発声訓練を受けた。3回喉をつぶし、何とか声の土台を作ったことが今に活きるなんて予想もしなかった。
 ダンディーズは、その名に違わず、声の柔らかさは一流、最高、ほれこみました。この大切なめぐり合いを大事にしてきたい。
 毎日演奏会のCDをかけ、感慨にふけっております。